ボタンの数と言語・文字

iPhoneのボタンの数は1桁です。アマゾンプライムビデオ?のコントローラのボタンの数も少ないです。各ボタンは抽象化され、その時の状態によって具体的な動作が決定されます。ポリモーフィズムですね。

日本製のテレビのリモコンのボタンの数は、ざっと40くらいあります。各ボタンは具体的に役割、機能が割り振られています。

まず言語に関して全くの門外漢ではあります、という断り入れておきますが、所感を。
ここにはアルファベットを使っている民族と、漢字を使っている民族の違いを感じます。アルファベットはそれ単体では意味を成しません。組み合わせで意味を持たせています。漢字はそれ単体で具体的な意味を持ちます。ここにプロダクト(コントローラ)制作時に思考の違いが表れているように感じます。良し悪しではなく、物事をどう捉え、どのように考えるかという思考(指向?)の特性でしょう。この抽象化指向はコンピュータと親和性が高いと思います。オブジェクト指向プログラミングを考案したのもうなづけます。というかコンピュータの世界は全部アメリカですね。。。。

さて日本→漢字と少しごまかしていましたが、日本元来のひらがな(正確には漢字の草書体由来)の50音を考えると抽象の組み合わせでもなく、具象の記号化でもなく、五十音というだけあって「音」を基準に作られているように思えます。どちらかというと抽象化されたアルファベットに近いのでしょうか。と思って調べてみたら分類としたらどちらも「表音文字」というものらしいです(さらに細かく分類される)。なるほど、思いて学ばざればすなわち暗し、ですね。

表音文字:
→音素文字:アルファベット
→音節文字:ひらがな
表語文字:漢字

といった分類のようです。なるほど、ひらがなは、原子(素粒子?)までは分割してないが、分子くらいまでは分割したというイメージでしょうか。

再度断っておきますが、良し悪しではないです。漢字は漢字で数万とも数十万あるともいわれ想像を絶する凄さがあったり、書道のように形としての美しさ(欧米人が入れ墨にしたり)があったり、直接的な理解のしやすさがあったり利点も多くありますしね。

抽象的な概念は捉えにくく、また抽象的な思考というのは向き不向きが如実に表れるように思います。そして漢字をひらがなにして使用していた日本人、抽象的思考は決して苦手ではないのではないでしょうか。

ここまでぼんやりとごっちゃに使ってきましたが、言語、語、文字は別の概念ですね。私が言っていたのは文字ですね。

とりとめもなくなってきましたが、何が言いたいかというと、言語や文字というものは人の思考に深く関わり、「プロダクトに色濃く影響する」のかもしれず、であるとしたら、日本人にも抽象的な指向なプロダクトは作れるはずだ、ということです。

という凄く抽象的なお話でした。

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